主祭神

2015年01月04日 09:20

天照御魂神(あまてるみたまのかみ)、別の呼び名は天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)、古事記、日本書紀では天火明命と記されています。覆屋内西側の本社中央に祀られています。御霊代は鐵鏡座…と聞きましたが、さすがにお社の扉を開くことは畏れ多くてできません。社に刻まれた飾りは獅子。
太陽の光や熱を神格化した神と考えられています。

文字として残された記録として古く確実なものは古事記と日本書紀です。これらの歴史書も文字が渡来する以前に語り伝えられことが基になっていますから「言い伝え」以上のものでもありません。しかし、文字に記された日本の歴史の始まる前からここに住まいする人々に知られた神であったことは明らかです。

記紀に記された文字は僅かです。最後に原文を掲げますので私の読解の足りない所は読み取っていただけたらと思います。

両書に共通するのは、この神が天照大神の孫で「天孫降臨」で有名な(天皇家の先祖として地上の国にやってきた)瓊々杵尊(ににぎのみこと)の兄であるということ。

ではなぜ、兄ではなく弟が日本国を統治する任についたのか? 一番知りたいこの事情は両書とも一言も書いていません。ににぎのみことの天孫降臨先だって大和国に天下りされたという話もありますが、元記事は未見。

天火明命を祖神とする尾張連(日本書紀の記事による)が娘を天皇家に嫁入りさせていた家系であったという話もあります。天皇家と嫁の実家との微妙な心遣いが神話の成立に影響したのかも?

何もかも人間界の権力闘争の歴史の反映だという史家もおられますが、それでは味けの無い感じ。神話は神話として、ありがたく楽しく読むことにしましょう。

 

以下は何の論拠も無い想像です。

天照御魂神は、人間の国建設というような荒っぽい仕事になじまない穏やかな性格のお兄さんだったのではないでしょうか。

疫病を流行らせる神に「自分だけはお目こぼしを!」とお祈りするのが人間の習性。まず天変地異や病気で恫喝してから「だからワシを大事にせえ〜」と言わないと人間はついてこない。近世以来のことを調べても、そういうやり方になじまない高貴な神格が伺われるのです。

本居宣長は「古事記伝」でこの神について、「ホアカリ」は「穂赤熟」で、稲穂が熟して赤らむ意味だとしています。(朝日日本歴史人物事典にも記載)

我々の祖先がそんなことを知っていたかどうかはともかく、稲穂を熟させる神として大切にしてきたことは事実でしょう。お社にどんな神が祀られているかは知らなくても、毎年の実りが、神への感謝を呼び起こし、この神社の千年の歴史を築いてきたように思います。

先日、拝殿の前で、正面に向けて二拝二拍手一拝した後、やや左向きに姿勢を変えて二拝二拍手一拝された方をお見かけしました。拝殿正面には東之神社があり、左に新屋坐天照御魂神社のお社があります。それを知っていてきちんと両方にお参りする人がいらっしゃることに驚きました。以後、見習うことにしています。

 

 

 

○古事記上巻6の原文

 

○日本書紀巻第二神代下の原文

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