こんなサイトを立ち上げた理由

2014年12月18日 23:13

この神社の由緒というのは書いたとおりですが、古代の記録にある「新屋坐天照御魂神社」というのが現在のどこのことなのか。実のところよくわかっていないんです。神社が都合で場所を変えるいうのもあるし、人間なんて30年くらいで世代交代しちゃうから、記憶の伝言ゲームがどこでどうなったかわかるわけがない。

今、茨木には同じ名前の神社が三つあって、一番大きいのは福井にある「新屋坐天照御魂神社」です。ここは境内も広いし、常駐の宮司さんもおられるし、茨木城主だった人が応援したからその関係の宝物も伝えているし…、たいしたものだとは認めます。

もう一つは中河原(宿野庄)の小学校の隣。いつも子どもが遊んでいる(遊具もある)。木立のある明るい広場にお社が建っている感じ。氏神様が子どもたちを見守ってはる感じでここもいい雰囲気。天照御魂神さまは主祭神でなくなっているけれど、そういうことも許してくださる度量の大きい神様だから、問題なし。

しかし、福井の神社が「新屋坐天照御魂神社 公式ホームページ」というのを作ってるとなると、西河原の住人としては納得がいかない。そんな言い方されたら、福井が公式でうちら西河原の氏神さんは非公式かい? それはないわ! と思います。(中河原の神社の氏子さんだってきっと思うでしょう)

福井の神社が「この神社の歴史」というふうに昔の本の記載内容を紹介してるけど、西河原・橋の内で暮らしてきた人間にとっては、「それは、うちの神社の歴史や!」ということになる。

もう亡くなった西河原の大先輩が郷土史の理解について福井の人と激論を交わした…てな話も聞いています。

自分はあんまり詳しくないから公開討論を挑むというような気力もありませんが、こここそがもともとの新屋坐天照御魂神社であるという先祖伝来の思いを主張することにしました。

氏子の皆さんが納得するページを作って「本家 新屋坐天照御魂神社 公式ホームページ」と名乗って対抗しようとも思ったけれど、それほどの力量も人望もないので、とりあえず個人がうちの大事な氏神さんを紹介するサイトを作ることにしました。ご笑覧ください。

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