国道171号線と新屋坐天照御魂神社

2014年12月18日 23:14

現在、新屋坐天照御魂神社は国道171号線の北にあります。しかし、国道の南にも小さな空き地があって椎の木が一本。ここも神社の境内です。そして調べてみると、国道の下になっているところも神社の境内であることがわかります。(あった…のではなく、現在も登記上、神社所有の「境内地」です。)

ここが道路になったのは昭和一桁の頃。当時を知る方に聞くと「弾丸道路」として作られたそうです。「弾丸道路」つまり、軍用道路です。基地に軍需物資を運ぶルートとしてこの道は作られました。戦後、昭和28年に二級国道171号京都神戸線となりましたが、前身はそういう道路。

昭和のはじめ、そんなに家が建て込んでるわけでもなし、神社をよけてくれても良かったのにと思いますが、この道路「飛行機が離着陸できる」というのが「軍用」のもう一つの狙いだったとか(当時軍国少年だった方からの聞き取り情報です)。いざとなったら、この道路から戦闘機が飛び立って敵機をやっつけるという計画です(当時の子どもたちはそう聞かされていたらしい)。

桐生悠々(きりゅうゆうゆう)さんが信濃毎日に書いたように、本土空襲されるってことは日本の負けが決まったってことだとだいうのが正論で、大阪が空襲される頃には、この道路からもどこからも迎撃に飛び立てる戦闘機なんか残っていませんでした。

でも、「弾丸道路」建設の頃、軍の思いつきに異議を申し立てるなんてできるわけもなく(桐生さんとかは別格)飛行機のために直線の道路が必要だと言われて境内をぶった切る道路の建設を認めたのでしょう。国家神道の時代で神社境内は国有地だったから、権利関係としても認めるしかない…。

敗戦後、占領軍の指示で政教分離が進められ神社の境内地は一定の条件を満たせば無償で払い下げということになります。我らが氏神様も宗教法人「天照御魂神社」として再スタートしていて、軍用道路に接収されていた境内地も書類上は返ってきました。

しかし、「弾丸道路」は「産業道路」と名前を変えて車の往来が絶えない幹線道路のまま。(軍国日本から敗戦→復興、高度経済成長…)静謐な境内地にして返せということもできないまま現在に至っています。

国道にバリケード作って実質的返還を勝ち取るまで闘うぞ! てな事件は「団塊の世代」の方が、氏神さんにあんまり関心がなかったようで、起こりませんでした。

境内地を通過する車の数をカウントして、1台当たり0.01円くらいの通行料を請求したら社殿の新築なんてすぐできそうですが、そういう「ヤーさん的金儲け」を思いつく氏子もおらず…。

ポスターには、神社は国道の交差点の北西と書きましたが、そんな歴史も隠されています。

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