東之神社

2015年01月04日 10:02

拝殿の向こうにあるのは新屋坐天照御魂神社の本社だけではありません。境内社である東之神社のお社も覆い屋に守られています。しかも、本社より東之神社の方が大きいのです。お社が造られた1672(寛文12)年の時点では、東之神社は本社より人々の信仰を集めていたようです。さて、ここの祭神は…

八幡神(はちまんじん)

東之神社の中央、社の飾りは鳩。

八幡宮の祭神。応神天皇を主座とし、弓矢・武道の神として古来広く信仰されてきました。源氏(清和源氏)が八幡神社を一族の氏神としたため、鎌倉幕府を開いた源頼朝以来、武士の多くが八幡様に武勲を願ってきました。明治以前は「八幡大菩薩」として仏教の守護神でもあり、東大寺建設の折に、八幡神が大仏建造に協力しようと託宣したといいます。八幡神は僧形で描かれることもあるくらい仏教に溶け込んでいました。

武道の神なのにシンボルが鳩? これには諸説あるようですが、理由はよくわからない(少なくともその根拠をハッキリ書いた書物は無い)ようです。しかし、春日大社のお使いが鹿で、お稲荷さんのお使いが狐であるのと同じくらい、八幡様が鳩は常識…なのだと、非常識な私は最近知りました。

○この八幡様の分け御魂が総持寺1丁目に、八幡大神宮として祀られています。ここからも信奉を集めた神であることがうかがえます。

○ここで勝たなければ(成功しなくては)人生が開けないという勝負の時は、大きな戦乱の無かった江戸時代農業に携わっていた先祖たちにもあったことと思います。

○村の先輩には、氏神様で出征の式をした(出征兵士を見送った)という記憶があります。武勲と帰還を願ったのは八幡神だったのでしょうか?


磯良神(いそらがみ)

東之神社の左(西)、社の飾りは法螺貝。

○現在「疣水神社」に祭られる磯良神はここ東之神社から分祀されたもの。磯良神社由緒略記にもその旨の記事があります。人間でたとえれば東之神社が「本家」で磯良神社が「分家」という関係とのこと。今では磯良神社の方がずっと大きいから、うちが本家と称してもよさそうですが、神様の世界はやっぱり清らかで、そういう嘘はつかれない。

○疣水神社のシンボルが法螺貝となっているのはこの社の欄間に彫られた彫刻がもとになっていると宮司さんに聞いています。

住吉神(すみよしのかみ)

東之神社の右(東)、社の飾りは鶴(?)。

○大阪の住吉(すみよし)神社の祭神である表筒男命(うわづつのおのみこと)・中筒男命(なかづつのおのみこと)・底筒男命(そこづつのおのみこと)の三神。伊弉諾尊(いざなきのみこと)が筑紫の檍原(あはきはら)で、禊(みそぎ)をした時に生まれた神々です。航海の神、和歌の神というジャンル違いの二面性をお持ちです。

○八幡神・磯良神・住吉神は「神功皇后三韓征伐」の物語で活躍する神々(八幡様はまだ神功皇后のお腹の中ですが…)。太平記に描かれたお話はこちらをご覧ください。

○社の飾り。住吉大社にお参りしたら兎の像があり、兎が住吉神のお使いだとわかります。住吉大社の起こりが辛卯の年卯月の上の卯日と「卯(うさぎ)」連なりだったからとか。東之神社の彫刻が兎でない理由はわかりません。江戸時代に行けたら、このお社を造った宮大工の方や当時の氏子の皆さんにお聞きしたいところです。

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