由緒書き

2014年12月18日 23:33

「御由緒」のページの「昭和62年にまとめられた由緒書き」をご覧ください。

Wikipediaなどで調べてもらえばいろいろ出てきます。Googleで検索したら最初に西福井の新屋坐天照御魂神社の「公式ホームページ」が出てきて、そこにもいろいろ書いてあります。

茨木市内に新屋坐天照御魂神社は三社あり、それぞれの歴史と伝承を持っています。西福井のホームページに載っているのは歴史資料に西福井の伝承を加味したもの。郷土史家の研究としてもいろいろな説があります。

さて、我々が、西河原の神社こそ延喜式に記載されたものであると考える理由は上記由緒書きの5・6行目です。

延喜式神名帳に書いてあるのは「新屋坐天照御魂神」で、ここに「新屋坐」とわざわざ断ってある。

新屋というところに鎮座された神の「天照御魂神」をお祀りする神社と読むのが無理がない。

昔の地名を調べると、ここ西河原が「新屋郷(にいやごう)」であり、西福井は昔から「安威郷」宿久庄は「宿久郷(すくぐん)」であったと考えられる。

すなわち、延喜式の記述は西河原の氏神様のことである。以上、証明終わり!

延喜式に「新屋坐天照御魂神社三座」と書いてあると知って、もともと神社が三つあったんだろう。どこが本家論争なんてしなくていいのにと思いましたが、「座」というのは神様の人数(失礼)を数える言葉で、神社の数なら「社」なんですって…。天照御魂神を主祭神とする三柱の神々が祀られた一つの神社があったというのが確立した解釈だと知りました。すると、それはどこだ? と追究したくなるのも人情です。

神様はこんな論争をどんな面持ちで見守っておられることでしょうか。

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