近世の氏神さん(その2)

2015年01月22日 17:22

その1からの続きです)

 

二つ目にわかりやすい霊験が求められるようになったこと

今から戦に行くという人は、「戦の神」という専門性を打ち出したところに戦勝の祈願をするでしょう。商売ならえべっさん、受験なら天神さん。天照御魂神は、そういう人の心にアピールする「けれんみ」に乏しかった。

お伊勢さん内宮の天照大神だってそうで、全面的に守護してくださる神の方が、○○ならお任せの神様より大きな霊威であるようにも思います。が、やっぱりわかりやすい方に人気は集まる。

現在の神社覆い屋の下には、戦いの神八幡様を主祭神とする「東之神社」の社も納まっていますが、こちらの方が本社の「新屋坐天照御魂神社」よりサイズが大きいのです。(実は、村の先輩に教えられるまで、そっちが「新屋坐天照御魂神社」だと思ってました。)

さらに、その東之神社に祭られる神の中で、磯良神は「神水で洗うと疣が落ちる」というので人気を集め、もともと新屋坐天照御魂神社があった場所を譲り受け、独自の社殿を構えることになりました。1669年、当時の社地の西北隅に移るというのはそんな事情です。

わかりやすい霊験を示し、人々を信仰に導く神は親切で、多くの人の苦しみを癒やしてこられたのだから、そちらも、もちろん偉いんです。比較論ではなく、神としてのありようが天照御魂神はちょっと違っていたということです。

 

その3に続きます)

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