近世の氏神さん(その3)

2015年01月22日 17:27

その1その2からの続きです)

 

三つ目は、見守ってもらっている人間たちがいつも仲良くはできないこと

江戸時代に人気では本社を上回った東之神社からは、八幡神も分祀され、今、総持寺1丁目に、八幡大神宮として祭られています。

この分祀について「水争い」が原因になったという言い伝えが残ります。日照りの年、田畑に引く水をめぐって村と村が修復不能のケンカをしてしまい「あんたらと一緒に、お祭なんかでけへんわ!」と(この台詞は私の想像)、神様に無理聞いてもらって、それぞれの氏神様として祭るようになった…。

農村であった頃の西河原や総持寺をよく知る方からは、この二つの村は別々の水源を持っていたから、ケンカにならんとはずだという指摘も受けています。

ですから、この話が史実であるとは申しません。ただ「七ヶ村の総社」が、いつの間にか二ヶ村の氏神になっていった経緯の一端を示す話として興味深い言い伝えだと思います。

明日晴れるか、雨が降るか、みんなで心を一つに祈った時代と違い、江戸時代には水路が整備され「樋(ひ)」という水門を人間がコントロールしてより安定した水源確保ができるようになりました。人が関わる部分が増えたことで、「不公平だ!」というような不満も生まれやすくなり、村々が一つの神社を支えていくことも難しくなったのではないかと思います。

 

(「近世の氏神さん」おわり)

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