須佐神社

2015年01月04日 10:26

須佐神社

祭神 速素戔嗚尊(はやすさのおのみこと)



『古事記』の記述では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国から帰り、死の世界の汚れを除くために禊を行ったとき、鼻を濯いだ時に産まれたとされます。
『日本書紀』では伊弉諾尊と伊弉冉尊 (いざなみのみこと)の間に産まれた三貴子の末子だと伝えます。天照大神の弟さん。主祭神の天照御魂神さまからしたら大叔父にあたります。

ここに祀られる祭神の中では一番の「荒ぶる神」です。
お母さん(伊弉冉尊)の死を受け入れられないという人間的としか言いようのない弱さ。お父さん(伊弉諾尊)の命令に従わない自己主張。岩戸隠れの原因となった乱暴を働くというやんちゃぶり。
一方で、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して生け贄にされかけた少女を救うヒーローにもなるし、彼が詠んだ歌が「日本最古の和歌」だという文芸の才もある。つき合いにくいが、味方になってもらえたら心強いこと限りなし。

神仏習合で、インド起源の「牛頭天王」という神と一体の存在と考えられました。牛頭さんは名前の通り頭は牛だし、角も生えてて女の子が寄りつかず酒浸りの時期も…。親切にしてくれた人(蘇民将来)には願い事がすべてかなうという宝物をぽんとプレゼントしてくれるけれど、粗末に扱った人の一族は全滅させる。激しい性格の方です。

ちなみに彼を感激させた親切は旅の途中ふるまわれた1杯の粟飯(雑穀のご飯)。滅ぼされたほう(蘇民さんの弟)は宿泊を断った大金持ち。

蘇民将来の子孫も守ってもらえます。全滅させられた一族の奥さんは蘇民の娘さんだったのですが、茅の輪をつけさせてそれを目印にして彼女だけは救出。(茅の輪くぐりの風習や「蘇民将来子孫也」の護符はここから)

この神様を祀る神社としては祇園祭で有名な八坂神社が代表。ご近所で一番大きな茨木神社も今正面に祀られているのはこの方です。

須佐神社にちょっとお賽銭入れたら、末代までの守護神になってくださるかもしれません。素通りしたら…?

ここも外から見えるのは覆い屋です。格子から覗いていただいたら、ほんとうのお社をご覧になれます。お賽銭は格子から入れてもらえたら、直下の賽銭箱(外からは見えません)に落ちる仕組みになっています。

暗いですがよく見てもらうと、お社に牛の彫刻があるのがわかると思います。このお社の製作年代は記録にありませんが、彫刻で祭神を表す手法や彫刻の雰囲気が本社、東之神社と共通するので1672(寛文12)年、同時に作られたものでしょう。

私たちもお祭の時、献げる神饌の三方は本社の天照御魂神さまと同じ大きさのものを用いています。その理由は今となってはわかりませんが、そうすべきものと言い伝えられてきたしきたりの中に代々受け継いできた須佐神社(牛頭さん)への畏れが表れているように思います。

お社は拝殿の左手前。
今年の元旦、初詣の方を迎えるのに境内をライトアップしましたが、須佐社の灯りを点けるのを忘れるというミスをやってしまいました。それで須佐社に気づかず帰った方がほとんどです。素戔嗚尊(牛頭天王)に叱られるとしたら私ですのでご安心ください。

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