氏子日記
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「新屋坐天照御魂神社だより」第3号
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実物拝見
いろいろなところで断片的な引用は見かけたし、どなたかが筆写したノートのコピーというのは手に入れていた「西川原大明神縁起」。ある記事に「神社庁保管」となっていて、それじゃ神主さんに尋ねて神社本庁に見せてもらう手続きを段取りしてもらおうかと考えました。ところが、神主さんは「そういう文書が村に伝わっていたと聞いておりますが、私は見たことがありません。」とおっしゃる。この神社にとっての第一級資料は、引用と書き写ししかないわけ?! それってほんとにあるの? 幻の存在?
ここで、うちのお父ちゃん(86歳)がすばらしいアドバイスをくれました。「江戸時代の古いものなら、庄家さんやった○○さんとこしか残ってないで」
で、○○さんとこ(ご本人の了解を得ていないのでお名前は明かせませんが…)へ突撃取材。何度かお留守で、これが神意かとあきらめかけていたら今日お会いできました。
君の言うてるのはこれか? と見せていただいたのが、ズバリ、そのもの、西川原大明神縁起の巻物。平成6年の調査で、寛文12年(1673年)のものと判明しているという情報も得ました。300年以上前の実物がホイっと目の前に現れて、ありがたいというか、不思議というか。(テレビやったらそれらしい効果音のあるとこでしょ)
しかも、貸したげるからもって帰って良いということになって、ただいま祝杯をあげております。保管場所は当然、神棚です!
寛文12年というのは、現在の地にお社が建てられた年。お社の配置はこの文書と整合性があるらしいと思っていたけれど、それは当然のことでした。お社新築のおりにこの神社のいわれをまとめたのが「大明神縁起」かもしれません。庄家さんとこの由緒書きも実物を借りてきました。これまた、あちこちで引用されてるのは知ってたけれど実物拝見は初めて。
書かれていることをそのまま歴史的な事実と考えるべきではないと当主は冷静におっしゃいます。客観的に見たら歴史的事実ではないにしろ、書かれた当時の村の状況とか住人たちの思いとかは反映されているはず。
西川原大明神縁起と庄家さんの由緒書き(こちらは文化11年(1815年)。縁起より百年以上新しい…ってほぼ二百年前)、辞書を引きながら翻刻してこのサイトにアップすることを目指します。期待しないで待っててください。
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春季例祭が終わりました
春のお祭は静かなもの。神主さんの言葉が終わり、一人一人神前に進んで玉串を捧げる時、柏手の音の合間に聞こえるのは、風に木々が揺れる音と、小鳥のさえずりだけ。余分なものは全部なくなって、神々に願うというところだけが残っている。
お祭が終わり、神社から出てきたら、小さな姉弟が中をのぞき込んで「ここなに?」とお父さんに聞いていた。お父さんが「神社や」と答えると、お姉ちゃんが「おねがいごとするとこか」と納得した様子で言う。つい歴史やいわれにこだわってしまう自分が、さっきようやくわかりかけたことを、ずばりと言い当てられてしまった。子どもってすごいなぁ!
お祭の日には村のあちこちに神灯の提灯を掲げる家があります。とえらそうに言う資格はなく、それがわかったのはつい最近。お隣の提灯に気がついて「ちゃんとしたはるんやね。子どもの頃はうちも出してたような気がする」と父に言ったら「それくらい今も家にもある」とのこと。探したらほんとにあったので、今回から出してみました。村の中を散歩してみたら、9軒の家で神灯を発見。許可を得たところから順番に写真を掲載していきます。
そして、もちろん、参道の入り口と神社にも御神灯が掲げられます。
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「新屋坐天照御魂神社だより」第2号
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春季例祭
今年も、5月10日に春季例祭が行われます。
西河原各所にポスターを掲示しました。新しい住民の方が、「この何とか神社ってなんや~?」って思ってくだされば大成功!すぐに、ご説明に行かせていただきます!!
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「新屋坐天照御魂神社だより」第1号
「新屋坐天照御魂神社だより」というチラシをつくってみました。まずは須佐神社をご紹介。これで初詣の時のライトアップの失敗を、牛頭さん・素戔嗚尊さんに許してもらえるでしょうか?(^^; ←何の話かはこちら・・・
(画像をクリックすると大きな画像が開きます)
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初詣
あけましておめでとうございます。
今年の初詣の様子です。除夜の鐘が鳴り終わる頃に拝殿の前に行列ができました。
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しめ縄の張り替え
年末の12/23に、しめ縄の張り替えをいたしました。
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ポスター
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