
御由緒
昭和62年にまとめられた由緒書き
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新屋坐天照御魂神社
○ご祭神
天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)(皇孫 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の兄 饒速日命(にぎはやひのみこと)ともいわれる)ほか
○鎮座地
茨木市西河原三丁目一番二号
○祭日・神事
例祭 十月十五日 歳旦祭 一月一日 春祭 五月十日 お百灯 九月十一日(二百二十日)
○由緒
新屋坐天照御魂神社の創建は詳らかでないが 延長五年(九二七)に成った「延喜式」に「新屋坐天照御魂神社三座」と記載されている
それ以前にも 大同元年(八〇六)新屋神に封一戸を寄せられ 貞観元年(八五九)新屋坐天照御魂神社に従四位下を授けられる等の記録もある
社名の中の「坐」は「座」(祭神のこと)と異なり ご鎮座の場所を示すことばで「新屋坐」とは 新屋 即ち西河原の地に鎮座するという意味である
当社は「延喜式」神名帳(じんみょうちょう)に記載されている神社 即ち「式内社」である
「式内社」は 全国祭神総数三千百三十二座で 大社(四百九十二座)と小社(二千六百四十座)に分かれ 茨木市内「式内社」総数十社十三座のうち新屋坐天照御魂神社三座だけが大社である
新屋坐天照御魂神社三座は いずれも名神(みょうじん)大社(全国で二百二十三社)で 祈年祭のほか 月次(つきなみ)祭 新嘗(にいなめ)祭にも神祇官から幣帛(へいはく)が奉られる霊験あらたかな神がまつられている なお 三座のうち当社の主催神 天照御魂神一座だけは 相嘗(あいなめ)祭に預かる神で大阪府下でも住吉大社など四社にすぎない 当社の格の高さがうかがえる
天正年間(一五七三 - 一五九二)以前は神域も広大で近隣七カ村の総社として上下の崇敬があつく神事も次第に縮小されていった 寛文九年(一六六九)旧社地の北西隅(すみ)にあ たる今の社地にうつされ同一二年に社殿が造営された それ以前は磯良(いそら)神社(疣水神社玉の井)も境内にあった
昭和四十四年七月 本殿の覆屋及拝殿の改築
同六十二年十月 社務所改築
氏子地域は西河原・橋之内である
現在境内にある由緒板(平成元年設立)
新屋坐天照御魂神社(にいやにいますあまてるみたまじんじゃ)
主祭神
天照御魂神(天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと))
祭日
一月一日歳旦祭、五月十日春祭、十月十五日例祭
由緒
当社は延喜式神名帳(じんなちょう)(九二七年成立)に記載された古社である。当地 西河原の周辺は その昔 新屋郷(ごう)といわれ、遙か古代から天照御魂神がお鎮まりになった。名神(みょうじん)大社の中でも相嘗(あいなめ)祭に朝廷から幣帛を奉られた式内社最高の社格で、府下には数社あるにすぎない。
天正(一五七三 - 九二)の頃までは 神域広大、神事を盛んに行われ、近隣七ヵ村の産土神(うぶすなのかみ)として崇敬された。しかし戦国争乱等により衰運に傾き、寛文九年(一六六九)社殿は旧神域の西北隅にあたる今の社地にうつり、同十二年現社殿が新しく造営された。
現在、本社には主祭神のほか天児屋根命(あめのこやねのみこと)・建御名方命(たけみなかたのみこと)・を相殿(あいどの)に祀(まつ)り、境内社には八幡命・住吉神・磯良(いそら)神を祀る東之(ひがしの)神社・速素戔嗚尊(はやすさのおのみこと)を祀る須佐神社、宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)を祀る稲荷(いなり)神社がある。
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これらの「御由緒」。最初に見たときには、ことばの意味すら分からない箇所がたくさんありました。以下に、そういったことばの意味のほか、「御由緒」に関連していろいろ調べてみたことをまとめます。(全文を読むには、タイトルをクリックしてください。)
「御由緒」に関連して
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近世の氏神さん(その2)
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近世の氏神さん(その1)
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神様の位
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最古の記録
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延喜式の記述内容
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「延喜式」「神名帳」「式内社」
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