記事のアーカイブ
2015年05月14日 09:39
春のお祭は静かなもの。神主さんの言葉が終わり、一人一人神前に進んで玉串を捧げる時、柏手の音の合間に聞こえるのは、風に木々が揺れる音と、小鳥のさえずりだけ。余分なものは全部なくなって、神々に願うというところだけが残っている。
お祭が終わり、神社から出てきたら、小さな姉弟が中をのぞき込んで「ここなに?」とお父さんに聞いていた。お父さんが「神社や」と答えると、お姉ちゃんが「おねがいごとするとこか」と納得した様子で言う。つい歴史やいわれにこだわってしまう自分が、さっきようやくわかりかけたことを、ずばりと言い当てられてしまった。子どもってすごいなぁ!
お祭の日には村のあちこちに神灯の提灯を掲げる家が
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2015年05月09日 22:32
新屋坐天照御魂神社春季例祭です。
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2015年05月09日 22:29
「氏子日記」を更新いたしました。:「新屋坐天照御魂神社だより」第2号
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2015年05月09日 21:13
第2号ができました!今回は、「東之神社」の紹介です。(画像をクリックすると大きな画像が開きます)
明日は、春季例祭。今日は、一生懸命、掃除と準備をしました。(掃除に夢中になりすぎて、写真を撮るのを忘れました…)
神社には、これの白黒A4版を置いています。お祭りのおみやげに(?)、よかったら持って帰ってください!
訂正:「天児屋根命」のお社の彫刻が「鶴」になっていました。正しくは「鹿」です。ここに訂正してお詫びいたします。(現在は修正済み)
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2015年05月02日 19:55
「氏子日記」を更新いたしました。:春季例祭
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2015年05月02日 19:43
今年も、5月10日に春季例祭が行われます。
西河原各所にポスターを掲示しました。新しい住民の方が、「この何とか神社ってなんや~?」って思ってくだされば大成功!すぐに、ご説明に行かせていただきます!!
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2015年01月22日 17:33
「 うちの氏神さん>御由緒 」のページ内、「御由緒に関連して」を更新いたしました。
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2015年01月22日 17:27
(その1・その2からの続きです)
三つ目は、見守ってもらっている人間たちがいつも仲良くはできないこと
江戸時代に人気では本社を上回った東之神社からは、八幡神も分祀され、今、総持寺1丁目に、八幡大神宮として祭られています。
この分祀について「水争い」が原因になったという言い伝えが残ります。日照りの年、田畑に引く水をめぐって村と村が修復不能のケンカをしてしまい「あんたらと一緒に、お祭なんかでけへんわ!」と(この台詞は私の想像)、神様に無理聞いてもらって、それぞれの氏神様として祭るようになった…。
農村であった頃の西河原や総持寺をよく知る方からは、この二つの村は別々の水源を持って
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2015年01月22日 17:22
(その1からの続きです)
二つ目にわかりやすい霊験が求められるようになったこと
今から戦に行くという人は、「戦の神」という専門性を打ち出したところに戦勝の祈願をするでしょう。商売ならえべっさん、受験なら天神さん。天照御魂神は、そういう人の心にアピールする「けれんみ」に乏しかった。
お伊勢さん内宮の天照大神だってそうで、全面的に守護してくださる神の方が、○○ならお任せの神様より大きな霊威であるようにも思います。が、やっぱりわかりやすい方に人気は集まる。
現在の神社覆い屋の下には、戦いの神八幡様を主祭神とする「東之神社」の社も納まっていますが、こちらの方が本社の「新屋坐天照御魂
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2015年01月22日 17:17
由緒書きの「天正以降…」からは、確実にここにあった神社についての歴史です。
昭和8年に大阪府がまとめた「大阪府神社史資料」に記事が集められています。「天正以前は封境廣大を極めたりと傅ふれども今は甚廣ならず」(大阪府史)
ではなぜ、境内が小さくなり、神事が振るわなくなったのか?
一つは戦乱
天正年間は織田信長が日本の統一を進め、豊臣秀吉が取って代わり、天正の終わりには老いた秀吉の朝鮮出兵の暴挙があり…。そういうことをする連中はあんまり神仏を大事にしない。比叡山だって邪魔なら坊さんごと焼き滅ぼすという感性です。鉄砲や槍刀で守っている他人の土地を、上回る戦力・策略でぶんどっていく競争。そこに
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